好きな練習は全部好き。嫌いな練習はない。その理由は、全ての練習において前回との比較ができ、データが取れるからだ。走ることは実験であり、実験結果が全て出てくるところに面白みを感じる。嫌いな練習をしてまでランニングを続ける意味はない。好きな練習だけをやる。最大限の質を担保する方向性に変えることが大事だ。
リカバリーもペース走もインターバルも、全ての練習において前回の練習との比較をする。これが実験の目的の一つである。
前回の練習と比べて今回はどうだったか。そのデータが取れるというところに面白みを感じている。だから、やっている練習に全てに意味があると考えられる。だから好きな練習自体は全部好きと言える。嫌いな練習というものは特にないと感じる。
💡 全部好きな練習の理由:データ分析と実験の視点
リカバリーもペース走もインターバルも、全ての練習において前回の練習との比較をする。これが実験の目的の一つである。
前回の練習と比べて今回はどうだったか。そのデータが取れるというところに面白みを感じている。だから、やっている練習に全てに意味があると考えられる。だから好きな練習自体は全部好きと言える。嫌いな練習というものは特にないと感じる。
ランニング自体が一人でいろんなことを考えながら練習するものではあるが、やっぱり一人でいられる時間というのが私にとっては結構大事な要素になっている。そういったところもあって、一人でいられる時間としてランニングというものが存在している。
そして練習ごとに前回との比較というような形でデータを取るということが面白みにつながっている。そして前回の自分を超えるというところの小さな喜びみたいなものを積み上げていくという作業がランニングの面白みにつながっている。だから練習は全部好きという形になる。
📊 走ること自体が楽しいと感じる瞬間:データが全て出てくる
走ること自体が楽しいと感じる瞬間は、やっぱりデータが全て出てくるところが楽しい。ピッチだったり、上下動だったり。そういう自分が向き合っているものに対して必ずデータとして跳ね返ってくる。そういう分析対象が好きなものにも存在していると感じられるところが走ること自体が楽しいと感じる瞬間だ。
当然フルマラソンの終盤なんかはめちゃくちゃ辛いと思う。当然もうなんでこんなことしてるんだろうみたいなこういう風なマインドになったりも当然する。だが、終わった時にどういう走りだったかというのを分析がスタートするという形になるので、そこに楽しみを感じるという形になっている。
走ることが実験というようなマインドで私はやっているので、走ること自体が楽しいというのは走らないことには実験対象がないという話にもなってくる。そこがやっぱり楽しく思えるところだ。
🔄 練習への向き合い方の変化:Apple WatchからGarminへ
ランニングを開始した時というのはGarminを持っていなくてApple Watchで対応していた。Apple Watchだけで1ヶ月ぐらいはやっていたが、もっとランニングを上達させるためにはどんなことが必要なんだろうというふうに思った時に、ピッチだったり設置時間というものが取れるぞということが分かった。
Apple Watchではピッチは確かに取れていたはずだが、設置時間とか上下動とかそういうものはApple Watchでは取れなかった。そういうところの練習データが取れるという風になってから、自分を分析対象とするというようなマインドに変わっていって、練習の向き合い方もそこで変化をしていったというような形だ。
心拍やペースのデータを見ることで練習がより楽しくなる。これは前回の練習メニューと今回の練習メニューとの比較というところができるので、そういったところを見ることができるというのが何よりの楽しみだ。
🏃 一人で走ることの意味:自分の課題に自分なりの解釈を持って取り組む
一人で実験をしながら走るのが好きという点が練習を楽しくする理由になっている。やっぱり自分の課題に自分なりの解釈を持って取り組んでいくというのがランニングをデータ分析をしながらやる意味だと思っているので、人から何かを言われたからやっているとか人がどうだから自分はこうしたいとかそういうふうなマインドは一切ない。
当然やっぱり人と一緒に走りながらやることで客観的な視点とかというものも得られるのかなとは思うので、そういったものが無駄だとは全然思ってはいなくて、逆にそういう視点も欲しいなというふうに思うことはある。だが今の練習の仕方だとそういうことはさすがにできないので、朝待ち合わせしてやるとかということはできないので、やっぱり一人でやるしかないというところにはなってくる。
自分の課題にとことん向き合えるというところがあるので、一人で走ることの意味というのはそこだ。
🧠 練習中の思考プロセス:課題に向き合うことが上達につながる
走行中の思考はランニングの課題(上下動、ピッチなど)。全然暇ではない。とにかく課題に向き合うってこそランニングが上達するかなと思っているので、今の自分がどういう風に走っていたらどういうふうに上下動が変化するのかみたいなところを考えるのがとても大事だと思っている。
例えば上下動に関しては下げれば下げるほど上への推進力を前に出せるというところになるので、下げすぎも良くないという話にはなるが、上下動に関しては一定の範囲内で下げていくということがとても重要だと思っている。例えば9センチの走り方と8センチの走り方では全然走っている感覚というのは変わってくる。
それって人から周りから見て上下動がされてるなという風に客観的に見ることができるが、自分で上下動がどのくらいになっているかというのって全然わからない。だからこういう走り方をするから上下動が下がるんだとかこういう走り方をするから上下動が上がるんだということをランニングをしている最中に考えないと、その課題って潰すことができない。
だから、全然暇ではないし、そこを実験するというところが非常に楽しいというところにつながってくる。
💪 週110kmを継続できる理由:楽しいから、家族の応援
週110kmを継続できる理由は楽しいからというところもあるし、家族が心よく応援してくれているというところもあるので、その期待を裏切れないなあというふうな思いもある。
妻と息子がランニングをとても応援してくれている。その期待に応えるということも、継続の原動力になっている。
🎯 楽しいと辛いの境界:レース中は辛いが、終わった後の分析が楽しい
フルマラソン中のやっぱり30kmの壁だったり20kmの壁だったりというものはめちゃめちゃ感じるところはある。やっぱりやっている最中はとってもつらい。だが、やっぱり結果が出た時にその結果が撮影できていないということがまず一つ課題として浮かび上がってくるところだと思っていて、それを走り終わった時に目標達成できてないよというふうに言われているものと一緒なので、やっぱりじゃあ次ここの課題を崩すためにはどうしたらいいんだろうというふうに次は考えるというところがまた次の楽しみになってくるという形になる。
レース中は辛いが、レースが終わった後の課題を分析するという行為がめちゃめちゃ楽しいと感じる。
💬 読者へのメッセージ:嫌いな練習をしてまで続ける意味はない
全部好きな練習という視点を、継続に悩むランナーにどう伝えたいか。
逆に言うと嫌いな練習をすることによって悩むのは意味がないなと思っている。部活をやっていたりとかそういうコーチの先生に何か言われるとかということはあったりするのかなと思うが、まあ一般的に市民ランナーと言われる社会人の方に関して言うと、嫌いな練習をしてまでランニングを続ける意味というのは別にないと思う。
それをあえてするということは全く意味のないことだし、それでランニングをやめちゃうの方が意味ないと思うので、好きな練習だけをやる。最大限の質を担保するという方向性に変えるということの方が大事だと思う。
だからインターバルもペース走もLTもMPも全部好きだったらやればいいし、もしも嫌いな練習があるんだったらそれをやらずにどうやって質を上げていくかということを頭使う方がいいと思うので、そういうふうに考える方がいい。
❓ よくある質問
- 好きな練習は全部好き、嫌いな練習はない理由は何ですか?
-
全ての練習において前回の練習との比較ができ、データが取れるからです。リカバリーもペース走もインターバルも、全ての練習において前回の練習との比較をする。これが実験の目的の一つです。前回の練習と比べて今回はどうだったか。そのデータが取れるというところに面白みを感じています。だから、やっている練習に全てに意味があると考えられます。
- 走ること自体が楽しいと感じる瞬間はいつですか?
-
データが全て出てくるところが楽しいです。ピッチだったり、上下動だったり。そういう自分が向き合っているものに対して必ずデータとして跳ね返ってくる。そういう分析対象が好きなものにも存在していると感じられるところが走ること自体が楽しいと感じる瞬間です。終わった時にどういう走りだったかというのを分析がスタートするという形になるので、そこに楽しみを感じます。
- 嫌いな練習がある場合、どうすればいいですか?
-
嫌いな練習をしてまでランニングを続ける意味はありません。好きな練習だけをやる。最大限の質を担保するという方向性に変えることが大事です。もしも嫌いな練習があるんだったらそれをやらずにどうやって質を上げていくかということを頭使う方がいいと思います。

コメント